UmaMukaiyama AncientTomb
宇摩向山古墳
詳細ページへ


Home > 宇摩向山古墳

宇摩向山古墳



 UmaAncientTomb -Event and History-   最新イベント情報・これまでのあゆみ
  1. 2015(平成27)年02月         史跡 宇摩向山古墳保存管理計画 策定
  2. 2011(平成23)年11月19日(土)   国指定記念シンポジウム「宇摩向山古墳を語る」を開催しました。
  3. 2011(平成23)年09月21日(水)   「宇摩向山古墳」が正式に国指定史跡に(文部科学省の官報告示)
  4. 2011(平成23)年05月20日(金)   「宇摩向山古墳」国史跡へ(国の文化審議会の答申を受けました)
  5. 2009(平成21)年03月         『宇摩向山古墳発掘調査報告書1』刊行(墳形及び墳丘範囲を中心とした調査報告書)
  6. … … …(随時追加中です)

 宇摩向山古墳の概要 
 宇摩向山古墳は愛媛県四国中央市金生町下分に所在する、古墳時代終末期の巨石墳で、単一丘陵上に2基の横穴式石室が平行して築造された稀有な古墳です。そのうち西側に所在する1号石室は明治期以来開口しており、その出土品から7世紀前半代に埋葬が行われたことが分かります。一方、東側に所在する2号石室は大正期から昭和初期にかけて天井石が碑石等に転用されており、また、現在は半埋没状態であるため、その全容は不明です。しかしながら、露出している天井石などの石材からその規模は容易に窺い知ることができ、愛媛県でも屈指の規模を誇る1号石室よりもさらに一回り大きな石室を持っていることが分かります。
 このような石室規模から向山古墳はかつて「伊予の石舞台」とも呼ばれたことのある古墳で、その重要性は古くから注目されてきました。しかしながら、その墳丘に関してはこれまで殆ど顧みられたことが無く、墳丘の形態や規模に関してはこれまで、想定の域を出るものではありませんでした。
 そこで、四国中央市教育委員会ではまず、墳丘形態及び規模を確定することを目的として、2003(平成15)年度より発掘調査を開始しました。

 「向山」という地名は全国に数多く、また、金生川東岸に限っても上分の「向山」と下分の「向山」の二者が存在し、地名上の混乱を招いています。「向山古墳」と名付けられた古墳についても全国に多数存在するのが実情であり、それらと区別する呼称が必要であると考えられます。
 そこで、大宝令以来用いられてきた当地域の呼称である「宇摩」を用いて、「宇摩」地域を代表する終末期古墳という意味を込めて仮に「宇摩向山古墳」の呼称を与えています。
 最新の調査成果 
 これまでの調査では、墳形及び墳丘規模の確定を第一の目的として実施してきました。その結果、墳丘北側での周溝の検出南側での列石の検出により、墳裾を確認することができました。そこから復元される墳形は長方形墳であり、周溝の状況から、少なくとも最終段階においては両石室は同一墳丘に配置されており、所謂一墳丘二石室墳であったと考えられます。その規模は周溝の外周を含めると東西70m(復元)、南北50mを測り、石室同様四国はもちろん全国的にも屈指の極めて巨大な墳丘であったと考えられます。
 第6次調査ではこれらの成果を総合的に捉えながら、新たなトレンチを設定して墳丘築造と石室構築の過程を復元的に検証することを目的として調査を実施しました。

  詳しくみる…

 バックナンバー 

  1. 向山古墳第1次調査の概要【2003(平成15)年度調査】
  2. 向山古墳第2次調査の概要【2004(平成16)年度調査】
  3. 向山古墳第3次調査の概要【2005(平成17)年度調査】
  4. 向山古墳第4次調査の概要【2006(平成18)年度調査】
  5. 向山古墳第6次調査の概要【2008(平成20)年度調査】

  6. 『宇摩向山古墳発掘調査報告書T』を刊行

Go to GoogleMaps (所在地をマーカーで表示)